2011年12月30日金曜日

2011年の最後に。

26日。
3連休明けで、あたしの中で2011年最後のノルマを集中してこなし、残りの2日半はデスク周りの片付けや挨拶回りとかしてのんびり過ごす予定でした。

お昼に出ようとした時にダンナからのメールを見ると、義父が危篤との知らせに頭が真っ白になった。
つい1ヶ月ほど前に親族食事会にも出席してもらい、会の最後の挨拶で感極まって涙ながらにあたしとダンナの結婚を喜んでくれていた義父が、どうしていきなり?
すぐにダンナと連絡を取り、会社に置いてあるスーツとパンプスを持ってそのまま会社を出て、ダンナのクルマで新潟へと向かった。
ダンナもまだ状況がまだ掴めていないようで、ワケも分からないままハンドルを握っているような感じだった。

関越に入る前の大渋滞で大幅にロスし、その後雪のせいでまたもや遅くなってしまった。
とりあえず状況を把握するために義妹にメール。
そこで初めて義父が亡くなったことを知った。
大きな病気をしていたとも聞いていないし、まだ72歳だし、頭の中で義父の笑顔が浮かんでどうしたらいいか分からなくなった。

ダンナの実家に着いて2階に上がると、穏やかな表情で横たわっている義父。
涙が止まらなかった。
つい1ヶ月前にはあんなに元気だったのに・・。

居間に降りると伯父や伯母達が集まっていて、頭の中を整理するヒマもなく今後の流れを説明しだす伯父。
喪主はダンナになっていたのだ。

当たり前だけど、義母は親戚たちと話しているもののほとんど内容が耳に入っていないようで、ダンナも父親が亡くなった事実を受け止めきれていないまま通夜と葬儀の打ち合わせ。
突然の事態と耳慣れない葬儀関係の言葉に完全頭が働いていないダンナを見て、あたしも悲しいけどここはあたしがしっかりせねば!と自分に言い聞かせた。

しかしそうはいっても、喪主の妻ってポジション的にどうなの?
しかも親戚一同にはつい1ヶ月前に嫁として挨拶を終えたばかりでしゃしゃるのもどうかと思うし、親族同士の話にいきなり部外者(いや戸籍的には完全身内なんだけど)が入っていくのも空気読めない感じでどうかと思うし、かといって何もしないのも本家の長男の嫁としてやっぱ違うし・・と今後の自分の動き方を必死で考えた。

えーい、ここはもう自分がやったる!くらいの気持ちでしゃしゃったれ!!

そこからの3日間は長かったようなあっという間だったというような・・。

通夜と葬儀の打ち合わせは結婚式のそれと違ってとにかく時間がない。
でも決めなきゃいけないことはたくさんあるし、誰が来るか分からないから人数把握も難しい。
自分の祖父母の葬式にしか出たことのないあたしが、地方の通夜と葬儀の作法やマナーなんか分かるはずがないんだけど、分からないことは葬儀屋や伯父に何でも質問し、とにかく失礼がないように出来るだけのことはやった。

通夜にあたしの両親が来てくれて、だいぶ心強かった。
ダンナも自分の心痛をよそにあたしを常に気遣ってくれて、何とか乗り切った。


義父とは今年の5月に初めて会ってから数回しか会っていないけど、何よりダンナと結婚したことを本当に喜んでくれていて、それがあたしも本当に嬉しかった。
最後のお別れの時に花を供えながら、義父が親族食事会での挨拶であたしの笑顔をとても褒めてくれたことを思い出して涙が止まらなかった。


葬儀が終わっても、お香典や弔問客の整理とか四十九日の手配とか色々あって、やっぱり葬儀ってホントに大変。
そこに慣れない雪国の寒さや布団で寝ることや、親戚達への対応や義妹夫婦の子供達の賑やかさ(いい子達ばっかで大好きなんだけど)とかでそろそろ限界。
今後のこともゆっくり考えたいし、とりあえず一度自分の家に帰りたい。
家に寄らずに会社からそのまま新潟入りして自分の普段飲んでる薬も持ってこなかったから、とりあえず一応のメドをつけて、義母を義妹夫婦に頼んで帰らせてもらった。

年の瀬に突然の訃報。
パニックになったけど、人間その気になりゃすんごい力が出るもんだ。

義父に今後もダンナと生き抜いてみせると約束したので、この先どこで暮らすことになっても、
義父が褒めてくれた笑顔を絶やさずにダンナと共に生きていこうと思います。

心配してくださった皆様、本当にありがとうございました。

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